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少女は見つめる

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戦国の世は

戦国時代の武将というと、数多くあげられますが、私がもしタイムカプセルがあったらお会いした方の一人が山陰の雄 尼子経久(あまこつねひさ)さんです。

最盛期は中国地方11カ国を支配する大名にのしあがりました。

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尼子氏の拠点は月山富田城です(島根県安来(やすぎ)市。月山の地形を生かした山城で当時は難航不落の城と呼ばれていました

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戦国の世はまさに群雄割拠、謀略、裏切り。身内も明日も敵対することもあります。そんな明日もわからない時代に長年権力を維持するのは並大抵ではありません。尼子氏も例外ではありません。後継者の早死や、力不足。毛利氏の侵攻等1566年に月山富田城が落城し60年あまりの栄華に終止符打たれました。

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最近見かけない銅像

 歴史の街、足守(あしもり)に足守小学校はあります。

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かつては武家屋敷でした。

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最近は見る機会も少なくなりました。二宮尊徳さん

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緒方洪庵

緒方洪庵さんは江戸時代後期に、岡山の小藩 足守藩の武士の3男として生まれました。先見の目があったのか、医学を学ぶために大坂へと旅たちます。後に同地で私費で適塾 を開きます。現在も大阪のオフィス街に佇んでます。機会があればぜひ訪問したいです。

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緒方洪庵さんの教え子には、福沢諭吉さん等江戸後期から明治にかけて活躍された方が多くおられます。

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当時の授業風景は想像するしかありません。適塾は身分を問わず入塾できましたが、成績によって等級分けするなど、とにかくやる気が大事という気風が感じられます。

 

適塾は明治以降大阪医学校をへて大阪大学医学部に引き継がれています。

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海王丸in広島

広島港(宇品(うじな))の1万トンバースに停泊しているのが、練習船 海王丸 です。

広島にも何度か来訪してますが実物を目にするのは今回が始めての機会です。

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次の機Dscn1632_2会はぜひ帆を大きく張った姿が見たいです。

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江戸時代の町並み 足守

江戸時代にタイムスリップしたようなそんな町並みがここ岡山市足守(あしもり)です。

足守藩木下氏2万5千石の陣屋町です。

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マイカーでの来訪でしたらここ、観光駐車場が便利です。

駐車場近辺の町並みです。

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身幹儀 

広島市南区霞(かすみ)地区のほとんどを占めるのが、広島大学医学部と広島大学病院です。

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医学部キャンパス内にあるモニュメントです。

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被爆当時このあたり一帯は陸軍兵器補給廠がありました。被害が少なかったために救護所として利用されてました。昭和32年に呉から医学部が移転し現在にいたってます。

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昭和53年に被爆建物であった11号館に国立大学初の医学資料館が開設されました。

時代の流れにともなって老朽化がすすみ、11号館は取り壊されました。なるべく当時のままで復元されました。

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正面玄関のわきに広島大学医学部医学資料館です。

館内には日本初の木造人体骨格模型である 星野木骨 が展示されています。

江戸時代後期に広島の接骨医、星野良悦さんが囚人の解剖を行い、工人 原田孝次さんに依頼して完成したものです。

当時としてはかなり完成度が高く、杉田玄白さんらに絶賛されて 身幹儀(しんかんぎ) とよばれてます。

 現在資料館ではレプリカが展示されてます。

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道の駅 波賀

ドライブやバス旅行にもはやかかせなくなったのが道の駅です。高速道路にはSAがあるように一般道では道の駅です。国土交通省の認可のもと、主に地方公共団体が運営してます。

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国道29号線 通称因幡街道沿い、兵庫県宍粟市に道の駅 はが はございます。かつては鳥取と関西を結ぶ重要なルートでした。

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妖怪駅 コロボックルー座敷わらし

JR境線は山陰の大阪といわれる米子市の玄関米子駅より、国内有数の漁港境港駅を結ぶ路線です。

 ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるさんの故郷が境港市にありますご縁から同線では通常の駅名とは別に、妖怪にちなんだ駅名が設けられています。

 富士見町駅 (ざしきわらし)

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博労町駅 コロボックル

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杉の街 智頭町

智頭町は林業がさかんな地域です。特に杉が有名です。他地域では酒蔵でおなじみの杉玉が民家の軒先にかかってたり、公衆トイレも杉をイメージしてます。

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マンホールは智頭町の花であるドウダンツツジと杉がデザインされています。

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智頭宿を歩く-2

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雨どいも塩ビ製ではなく凝ったデザインとなってます。

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智頭宿を歩く

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智頭宿は鳥取を出てはじめの宿場町です。

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石谷家住宅(国登録有形文化財)は千坪の敷地に7つの蔵、40の部屋が点在します。拝観できます。(有料)

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貴重な資料が展示されています。

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マルテ醤油さんです。

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1941年に建てられた消防屯所です。火の見やぐらが付いてます。

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鳥取県最大の宿場町 智頭宿

鳥取から兵庫県の姫路市に至るのが智頭(ちず)街道です。備前国(岡山)へ至る岡山街道の分岐点ともなりました。江戸時代には参勤交代や多くの商人が往来し、鳥取最大の宿場町として発展しました。

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 JR智頭駅です。因美(いんび)、因幡と美作を結ぶという役割は終えて地元の足として変貌してます。

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関西と鳥取を高速で結ぶのが智頭急行です。

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智頭町にはかつての宿場町の史跡が数多く残っています。

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県境の町 若桜駅

鳥取県八頭郡若桜町(やずぐんわかさちょう)は同県東南部、兵庫県境にあります。人口は4千4百人。国道29号線、姫路へと通じる若桜街道の宿場町です。

 若桜鉄道若桜駅は町の中心部に位置します。

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若桜鉄道の車両です。

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今ではめずらしくなったターンテーブル(転車台)です。蒸気機関車を方向転換する機械ですが、今ではほとんど見かけなくなった、貴重な歴史的遺産です。

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レトロな駅舎 隼駅

若桜(わかさ)鉄道の隼(はやぶさ)駅です。昨日の安部(あべ)駅よりも駅舎は気持ち大きめ、駅前広場もございます。

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木造の駅舎が印象的です。ここも映画のワンシーンに使えそうです。国鉄時代の施設がほとんどそのまんま使われてます。

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 出札口もいい感じです。最近ではほとんど見ることが少なくなりました。

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寅さん(寅次郎)の告白 安部駅

安部駅です。鳥取県を走る第3セクター若桜(わかさ)鉄道の駅です。他の第三セクターと違ってJR時代の施設をほとんどそのまま利用しているのが特徴です。

 駅舎内に美容室が同居し、古めかしい木製の出札口、改札が気にいって、山田洋次監督が寅さんシリーズのロケ地となりました。

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 ストーリーは見てのお楽しみ。この作品は鳥取市を中心にロケが行われてます。

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ビールの神様

狛犬の代わりに麒麟。

 ビール工場内にあった稲荷神社です。

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秀吉ゆかりの松

かつての街道筋にひっそりと佇む3本の松

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豊臣秀吉さんが名護屋城から大坂に帰る途上に立ち寄った同所に植えたとされています。

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リバーウォーク5

平和大通りの東端に鶴見橋があります。橋の歴史は古いのですが、現在のような車道橋になったのは、1990年のことです。

西側にあるエントランスです。

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東広島橋より鶴見橋

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江戸時代に鶴の飼育小屋があったのが地名の由来とされています。

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原爆の生き証人のしだれ桜です。

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リバーウォーク-4

神田橋(京橋川)より

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 都心部の喧騒とは無縁の白潮公園

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公園内には懐かしい井戸ポンプ

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原爆で犠牲になった方々をここで火葬したそうです。

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福島正則と広島

豊臣秀吉さんの重臣として知られる福島正則さん。石田三成さんと対立したため、関が原の戦いでは東軍につき、その後広島城にやってきました。

 在位期間が短かったので彼にまつわる痕跡は少ないのですがその中の一つが八剣神社(やつるぎ)です。

 かつて広島は水害が多くそのたびに修復をくりかえしてきました。その時に持ち上がったのが人柱をたてる案です。今から考えると、あまりに理不尽な話ですが、当時はこういった風習が根強く残ってました。

 福島正則さんは、人柱を立てるのは忍びないので、自分が所有する刀剣8つを人柱のかわりにたてたと伝えられてます。彼は戦国時代に生きるために生まれてきたといわれるほどの武闘派でした。

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ソーセージの木

 アフリカ原産の ソーセージの木(ノーゼンカズラ科 ソーセージ属) 。着色料を使用してないのでとてもおいしそうですが、残念ながら食べることはできません。でも薬用に利用されています。

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被爆建物 旧広島市役所

旧広島市役所、このモニュメントの地下はかつて配給課の倉庫として当時の資料が保管されています。

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8月6日

広島平和記念公園。今年も原爆の日がやってきました。ここ平和公園も戦前は広島を代表する繁華街でした。でも今は全くその面影はありません。歴史にたらればはタブーですが、もし戦争がなければここには人々の営みがあったはずでした。

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本川国民学校

爆心地から約350m、もっとも近くにあった文教施設が本川国民学校(広島市立本川小学校)です。この写真を撮影された方はどんな思いだったのでしょうか。今の広島の姿を想像できたでしょうか。

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被爆当時の建物です。(現在は資料館)

はだしのゲンにでてくる小学校はここです。

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対岸には原爆ドームが望めます。

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記憶を刻んで歩む石

戦争で犠牲になった無名の市民 と刻まれた石碑。05年に長崎から多くの方々の協力でここ広島まで運ばれてきました。

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被爆建物 旧制広島高等学校

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旧制広島高等学校(現在の広島大学付属中学校、高等学校)です。

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写真奥の重厚な造りの講堂が、原爆の生き証人です。広島にはここの他にも被爆を受けた文教施設が点在してます。

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歴史を感じさせる、どこかしら懐かしい気にさせるそんな校舎です。

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鷹野橋の妖怪

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婆多婆多(ばたばた)と呼ばれる妖怪です。ばたばたと音を立てるからからだそうです。

石に宿る妖精ともいわれてます。

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おしゃれなバス停

こんなバス停だったら少しぐらいの待ち時間も苦にならないかも

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