« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »

再開発の波間に

Dscn1469

第一国民学校(現在の 広島市立段原中学校)は原爆投下後、臨時救護所となりました。段原地区は、比治山がおかげで戦災の被害が比較的少ない地域でした。それでも当時の木造校舎は倒壊し、倒壊を免れた校舎も窓ガラスが割れたりしました。

 Dscn1470

かつては段原地区に点在する、旧国鉄宇品線の面影も近年の再開発で次第に失われつつあります。

 Dsc00569

町の風景は変貌してます。写真左側が道路となり、マンション等が立ち並ぶ予定です。

 Dsc00570

段原中学校も移転がすでに決定してます。生徒さんが生まれ育った町並みが日々移り往く姿を目の当たりにしてどう感じるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

最後のコスモス

ここでコスモスが見られるのは今年が最後のようです。

 このブログでも何度か紹介しました、旧国鉄宇品線跡地です。今日久しぶりに足を運んでみるとかなり更地になっていました。線路跡には工事現場の詰所と建設計画の看板が立ってました。

 Dsc00571

跡地にはコスモスが咲き乱れてました。昔の面影を残すエリアもごくわずかになりました。来年の秋には道路となって、多くの車が行き交い、宇品線の歴史は記憶の片隅に消えていきます。

 Dsc00572

このブログをはじめて1年あまりですが、場所によっては激しく変化しているところもあります。この段原地区はその一つかもしれません。そういった変わり行く郷土の姿を記録に残すことも私の責務(ちょっと大袈裟ですが)と感じる今日この頃です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

海を望む源泉

温泉国、日本にあって広島県は温泉の空白地帯です。隣県の玉造、道後、湯田といった温泉街はありません。県内で旅館街があるのは宮島くらいです。中規模の旅館が各地に点在するかたちとなります。

 Dscn1952

そんな広島県の数少ない温泉の一つが、宮島を眼下に望む宮浜温泉です。温泉堀削の際に掘り出された花崗岩がモニュメントになっています。

 Dscn1953

 ここからの風景は、大野瀬戸に浮かぶかき筏、そして厳島

 Dscn1954

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

海辺の公民館

昨日の旧サントリー宮島工場跡地に隣接するのが大野西公民館です。同公民館は一九九四(平成六)年4月に開館しました。図書室のほか、住民票・戸籍謄本・印鑑証明など住民窓口連絡所を併設している。約五百平方mの大研修室はバレーボールは2面が、バドミントンだと3面が取れるなど体育施設としては市内の公民館では最大という。

 公民館といえばプレハブ造りの質素なイメージがありますが、昨今は充実した施設を備えたのも増えつつあります。

 Dscn1964

Dscn1966

 公民館の敷地内にバスも乗り入れし、アクセスも充実してます。

 Dscn1965

 エントランスも堂々としてます。

 Dscn1963

 柵には鳥がデザインされてます。サントリー宮島工場のバードサンクチュアリーを追想しているのでしょうか。

 Dscn1967

 かつてこの地は白砂青松の海岸だったそうです。この立派な松ノ木はの歴史を今に語り継ぎます。

 Dscn1961

 かつてこの地に学校があったようです。(昭和38年閉校)

 Dscn1962

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

鳥の楽園は今

Dscn1960

鳥がデザインされた門があります。ここにはかつてサントリー宮島工場に隣接してバードサンクチュアリー(保護区域)がありました。1974年に開業し、1996年に閉園しました。その後、保存の話は立ち消えとなり現在は雑草が生い茂っています。

 Dscn1981

当時の記録はありませんが、パンフレットが残ってました。中を覗いてみると、喬木(高木)

コナラ、杉など36種2000本、灌木(低木)  はぜ、山ツツジ等 33種3000本 草花3000株が12000㎡の敷地に植えられてるとあります。

 確かにこれだけのものを維持していくのは大変かもしれません。

Dscn1968

工場創業時にはここでお祭りもあり、たいそう賑わったそうです。

 Dscn1969

公園に隣接する自販機はもちろん BOSS です。

 現在、サントリーさんの白州工場(山梨県北杜市)にバードサンクチュアリーにございます。

| | コメント (6) | トラックバック (0)
|

公園のトイレ

公園とかにきれいなトイレがあると安心しますね。

 Dscn1738

 江波皿山公園にて。ここはかつて江波島という瀬戸内海に浮かぶ島でした。

 Dscn1979

廿日市の小田島公園です。ここもかつては島だったのでしょうか。対岸は厳島が望めます。こんなトイレがあちこちにあればいいですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

夕闇をふたり

Dscn1975

「xxちゃん、もう寒いけ帰るよ」 「いやだ、まだ遊ぶ」。

 そういえば子供のころ公園で遊んでると「ご飯できたよー」と子供を呼びに来るおかあさんがいましたね。

 5時半か6時頃だったかな。ちょっとした時計がわりかな。遊びつかれた子供達が1人2人と家路について公園は嵐のあとの静けさ。砂場のお城がいつの間にか崩れてました。

 こんな夕闇にぴったりなのがユーミンさんの「夕闇をひとり」です。

昨晩お会いしましょう アルバム「昨晩お会いしましょう」に収録されてます。

廿日市市沖塩屋 小田島公園にて

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

椎尾八幡宮

岩国城下町を見下ろせる高台に椎尾(しいのお)八幡宮があります。

 Dscn1827

                    Dscn1830

 岩国西地区の氏神様です。

 Dscn1831

                   Dscn1832

 鳥の顔をした天狗?山伏?忍者?

Dscn1833

奥から、えびすさん、大黒さん、天神さん。神様トリオとなってます。

                   Dscn1834

急坂の参道からは岩国城下町が望めます。

 Dscn1828

 参道から岩国城を望む。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

岩国城下町てくてく-最終章

Dscn1835

岩国城下町も最終章です。城下町周辺には「岩国学校」などの施設もありますので、機会があればブログで紹介します。

 Dscn1837

消防法のからみで今は珍しくなった木造3階建ての建築物です。

 Dscn1836

 駐車場の片隅にあった、竹を使ったアートです。ここから数分歩くと、、、

 Dscn1838

岩国市のシンボル、錦帯橋に到着します。桜の季節に再訪したいです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

岩国城下町てくてく-4

Dscn1825

錦帯橋近くの、城下町の景観を意識した建物がありました。公民館?警察署?銀行?観光案内所?全部違います。パチンコ屋さんでした。

錦帯橋の案内板、直訳すると錦帯橋橋になります。

 Dscn1822

Dscn1821

歴史的な地名はなんらかの形でも残してほしいものです。

クーラーの室外機を木の柵で囲む等景観の保存に工夫がなされてます。

Dscn1818

かつてはバーバーだったんでしょう

 Dscn1820

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

銭形平次 誕生秘話

 広島電鉄江波線が走る舟入通りのなかにあって、ひときわ目に引く建物があります。

錢高組(ぜにたかぐみ)広島支店さんです。

 Dscn1944

番匠屋 錢高家は、江戸時代より泉州(せんしゅう)尾崎村(現、大阪府阪南市尾崎町)にて、歴代 錢高林右衛門さん、錢高助左衛門さんなどを襲名し、錢高善造さんに至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていました。 1705(寶永2)年9月18日には、業祖錢高林右衛門さんが棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院(現存)が落慶しました。錢高組さんの創業です。
社祖 錢高善造さんは、1884(明治17)年に上京し、明治の文明開化の波と共にさかんになりつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に務められました。そして1887(明治20)年、善造さんは大阪市内に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出しました。

以上公式HPを引用させていただきました。

Dscn1932

Dscn1933

Dscn1934

Dscn1930

平次親分が、一番最初に文芸春秋の月刊誌「オール読物」に登場した際の命名のヒントは錢高組さんの社名と社章でした。

野村胡堂さんは文芸春秋から「岡本綺堂さんの半七捕物帳のようなものを」と依頼され構想を練る時に大変悩みました。。半七捕物帳と同じでは能がないし、「水滸伝」の中に登場する小石投げの名人のようなワザがほしいなと考えてました。そうこうするうちに、平次という名が先に決まりました。ある日野村さんがふと窓の外のビルの建設現場が目に入りました。『設計 施工 錢高組』の看板と社章の『錢』。その時にひらめきました。ここで投げ銭がまず決定しました。肝心の名前の方は、「錢高」では商標のからみもありますし、「錢安」「錢○」「錢○」・・・と色々と文字をあてはめていきますが決め手がありませんでした。そこで「錢高」の「タカ」を逆にして「ゼニカタ」。「銭形」に決まったとされています。

 以上 公式HPの文章を参考にしました。

 Dscn1931

銭形平次さんのモデルは平成の広島の町にすっかり溶け込んでいるようです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

土の中の水道管

Dscn1943

 相田さん独特の書体ではありませんが、物の本質を見抜くことの大事さ、そしてそれがいかに困難であるかを、平易な文体で、身近なもので私たちに問いかけます。

 書家であり詩人でもある 相田みつをさんは大正13年に栃木県足利市に生まれました。相田さんが広く知られるようになったのは「にんげんだもの」がベストセラーになったことです。

にんげんだもの 逢

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

市女の門柱

Dscn1918

Dscn1917

この地には広島市高等女学校がありました。被爆にも耐えた門柱が私達に無言のメッセージを送ります。被爆時には先生、生徒さん670名の尊い命が奪われました。(広島市内の文教施設では最も多くの犠牲者の数でした)。現在平和公園内に慰霊碑がございます。

その多くが現在の平和大通り近くで行われていた建物疎開(空襲時の火災延焼を防ぐため一時的に家屋を移動させる作業)に従事していた方々です。

 Dscn1920

Dscn1919

爆風に耐えた被爆塀です。強力な台風の約10倍近くの爆風の前ではなすすべが無かったと考えられます。

 Dscn1929

現在は広島県立舟入高校となってます(現在は共学)。市内有数の進学校として、校舎内冷暖房完備等の最新の設備の高校です。

 Dscn1927

校歌にも歌われているアカシヤホール(講堂)。校門にはアカシヤのモチーフが。

 Dscn1916

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ひなた

大木惇夫(おおきあつお)さんは広島市出身の詩人です。三滝寺内に詩碑があります。

 Dscn1612

ひなた 素直にひなたを掘っている そのうちいいこともあるさ 山蘭(やまあららぎ)のしろいにおいがする

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

日本でここだけ

日本で唯一の公立の漫画図書館が広島市立まんが図書館です。扇形の特徴あるフォルムで2階が閲覧室となってます。

 Dscn1867

平成9年5月1日にオープンしました。都会の喧騒とは無縁の比治山(ひじやま)公園内に佇みます。利用者の多くは子供さんですが、成人向けの雑誌や研究書等がありますので大人も楽しめます。昨今は骨太な内容の漫画を原作にしたものがドラマや映画化されることも多くなってます。漫画といえどもあなどれないと思います。

 まわりは自然がいっぱいです。

Dscn1869

公園内には彫刻もあります。

Dscn1871

皇太子殿下もこの地を訪れました。

 Dscn1872

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

赤線地帯は今

1958年(昭和33年)の売春防止法が施行されるまで、全国に存在した赤線地帯(警察が遊郭等の風俗営業が認められた地域を地図上を赤線で囲んだことから)

 広島市内には「東遊郭」と「西遊郭」がありました。市内を東西に横断する「平和大通り」から1本路地を入ると、再開発が進行中の景色とは対照的に歴史を感じさせる建物がわずかに残っています。かつての遊郭の面影をかすかに残ってます。

 Dscn1896

Dscn1897

Dscn1898

出窓、凝ったデザインの飾り窓が特徴です。

Dscn1893

Dscn1894

倉庫か何かに使われているようですが、元は何の建物だったかは不明です。

 遊郭跡は現在ホテル街になっていてこれが平成の姿です。

Dscn1901

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

都会のオアシス

広島市内を東西に貫く平和大通りから一歩足を踏み入れると、静けさの中に別の顔を見せる街角があります。

 舟入地区の一角に塀に囲まれた広い庭園があります。明治33年創業の羽田別荘さんです。

 Dscn1895

 戦前には羽田少女歌劇を主催されてました。現在は庭園を鑑賞しながら料理が楽しめる料亭となってます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

鬼ヶ城山

鬼ヶ城山の頂です。山のてっぺんに立つのは久しぶりです。

 Dscn1890

 360度のパノラマが楽しめます。

 Dscn1885

あらためて感じるのは、広島というのは、島、海、町、山の距離が他の都市に比べて近い距離にあるということです。

 Dscn1886

この写真の中心を流れる川(太田川放水路)の上側の緑の塊があります。右から江波山(江波山)、黄金山(おうごんざん)、比治山(ひじやま)です。これらはかつて瀬戸内海に浮かぶ島でした。広島の歴史は干拓の歴史ともいえます。

 山並みのように見えるのは芸予諸島です。瀬戸内ならではの風景です。

 Dscn1892

頂上近くのたたみ岩から俯瞰すると、空と一体になったような気分です。

Dscn1889_2

 日中はまだ暑いですが、すすきが海風にゆらめいてました。

 Dscn1891

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

道行地蔵

広島市佐伯区美鈴が丘(みすずがおか)団地の公園近くの登山道の入口の片隅に「道行地蔵」があります。

 Dscn1884

かつて海側を経由する街道が整備される前は、このあたりを人々が行き来しました。

江戸時代の初め頃に、武士の横恋慕で亡くなった女性の霊をなぐさめる地蔵が何箇所にありました。時は流れて、昭和50年代初頭に、美鈴が丘の造成の際に、地元の有志の方がこの団地を見下ろすこの小さな高台に、点在していたお地蔵さんをここにまとめて奉納した歴史があります。

 Dscn1883

鬼ヶ城山からの美鈴が丘の風景です。

Dscn1887

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

村の鎮守の神様の

村の鎮守(ちんじゅ)の 神様の
今日はめでたい 御祭日(おまつりび)
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる 笛太鼓

 秋祭りのシーズンになりました。週末ともなると太鼓を鳴らす音や、みこしを担ぐ姿が町の秋の風物詩になってます。昔は今のように娯楽があふれていませんでしたので、祭りのときはここぞとばかりにはじけたんでしょうね。

Dscn1866_2

  今日から、近所の鎮守の神様を紹介します。今回はかつての漁港、広島市西区草津にございます住吉神社です。

 Dscn1865

かつての草津港(現在は公園)のなかにひっそりと佇みます。

 Dscn1864

昭和37年とあります。当時はこのあたりは海岸でした。夜間はこの灯篭は明かりをともしていたのでしょうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

変わりゆく町並み

比治山の東側は、戦災の被害が少なかったことから数年前まで昭和の古い町並みが残ってましたが、現在急ピッチで再開発が進み、広大な更地が広がってます。

Dscn1471

木製のドアがどこかなつかしい感じです。

Dscn1473

洋館風のつくりです。

Dscn1472

ロゴがレトロぽいです。10/1から郵便局も民営化されました。今後の動向が気がかりです。

 段原地区のこのエリアだけが昔の町並みを残してます。奇しくも、時を同じくして中年の男性が(私もそうなんですが)、カメラに町並みを収めてました。

Dscn1474

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

芸術の秋 笛を吹く少年

芸術の秋です。笛を吹く少年です。左足を少し上げているのはリズムをとっているのでしょうか。

 Dscn1868

後姿はどこかさびしげ。悲しい歌でも演奏しているのでしょうか

Dscn1873

| | コメント (6) | トラックバック (0)
|

« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »