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銭形平次 誕生秘話

 広島電鉄江波線が走る舟入通りのなかにあって、ひときわ目に引く建物があります。

錢高組(ぜにたかぐみ)広島支店さんです。

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番匠屋 錢高家は、江戸時代より泉州(せんしゅう)尾崎村(現、大阪府阪南市尾崎町)にて、歴代 錢高林右衛門さん、錢高助左衛門さんなどを襲名し、錢高善造さんに至るまで宮大工の棟梁を代々家業としていました。 1705(寶永2)年9月18日には、業祖錢高林右衛門さんが棟梁として建立に携わった本願寺尾崎別院(現存)が落慶しました。錢高組さんの創業です。
社祖 錢高善造さんは、1884(明治17)年に上京し、明治の文明開化の波と共にさかんになりつつあった西洋建築の新技術や近代経営の習得に務められました。そして1887(明治20)年、善造さんは大阪市内に移り、屋号の番匠屋を錢高組に改め、新たな一歩を踏み出しました。

以上公式HPを引用させていただきました。

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平次親分が、一番最初に文芸春秋の月刊誌「オール読物」に登場した際の命名のヒントは錢高組さんの社名と社章でした。

野村胡堂さんは文芸春秋から「岡本綺堂さんの半七捕物帳のようなものを」と依頼され構想を練る時に大変悩みました。。半七捕物帳と同じでは能がないし、「水滸伝」の中に登場する小石投げの名人のようなワザがほしいなと考えてました。そうこうするうちに、平次という名が先に決まりました。ある日野村さんがふと窓の外のビルの建設現場が目に入りました。『設計 施工 錢高組』の看板と社章の『錢』。その時にひらめきました。ここで投げ銭がまず決定しました。肝心の名前の方は、「錢高」では商標のからみもありますし、「錢安」「錢○」「錢○」・・・と色々と文字をあてはめていきますが決め手がありませんでした。そこで「錢高」の「タカ」を逆にして「ゼニカタ」。「銭形」に決まったとされています。

 以上 公式HPの文章を参考にしました。

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銭形平次さんのモデルは平成の広島の町にすっかり溶け込んでいるようです。

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コメント

こんばんは。
ぷりちゃん、何か番組を見させていただいた気分です。
そうだったんですね。

私のブログがとっても恥ずかしく思えました。
お見事です。
ぷりちゃん風邪を引かないようにね!


投稿: みわりん | 2007年10月15日 (月) 23時38分

みわりんさんへ、お互い目指している物が根本的に違うので比較はできませんよ。ほとんどがトリビアですが、たまには役にたつ記事があるかもしれませんね。心に風邪を引かないようにがんばります。

投稿: うてきなぷりぱ | 2007年10月16日 (火) 20時46分

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