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神の島 厳島 四 平清盛

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宮島を語るときに平清盛さんをはずすわけにはいきません。現在の厳島神社の原型は清盛さんの時代のものです。

 しかし宮島には平清盛さんを物語るものというのは意外と少ないです。銅像もここではなく呉市の音戸の瀬戸にあります。

だからでしょうか、昭和29年にこの清盛神社が創建されました。

 

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神の島 厳島 参

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 紅葉シーズンを迎えて観光客の方々に賑わう表参道から少し山手の路地を入ると、かつての宮島の姿に出会えます。尾道を彷彿させる坂道の石段からの風景はもう一つの宮島の魅力のひとつです。

厳島神社五重塔(国の重要文化財)、室町時代の創建で、その後何度か修理され、今の美しい姿があります。

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五重塔があるこのあたりは塔岡(とうのおか)と呼ばれてます。かつての毛利元就さんと陶晴賢(すえはるたか)さんの厳島の合戦の舞台にもなりました。

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神の島 厳島 弐

日本三景は江戸時代に儒学者 林鵞峰(はやしがほう)さんが江戸時代に「日本国事跡考」で

丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と記してます。これが後に日本三景となります。林さんの誕生日の7月21日を日本三景の日としてます。

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 平成8年12月に世界遺産委員会で正式に、世界文化遺産として登録されました。登録されたのは厳島神社、前面の海、弥山(みせん)原始林(天然記念物)です。

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神の島 厳島 壱

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世界一の大杓子です。長さ7.7m 最大幅 2.7m 重さ2.5t ケヤキ製で 1600万円也

昭和58年から2年10ヶ月かけて完成しました。しかしこれだけ大きな代物ですから展示場所がなかなか決まらず、14年間もお蔵入りしてました。もったいない話です。

 平成8年に厳島神社が世界文化遺産に指定されのを機に、宮島表参道商店街に展示されることになり、ようやく日の目を見ることになった次第です。

 宮島の伝統工芸品であり、宮島土産として定着したしゃもじですは、江戸時代中期に、これといった土産物の無かった宮島で僧の哲真(てつしん)さんが考案されたとされています。

 弁財天さんが持っている琵琶(びわ)の形をヒントにしたとされています。品質が優れていたこともさることながら、「敵をめしとる」と縁起をかついで、厳島神社で戦勝を祈願して広島の宇品港から日清、日露戦争に出征した兵士たちによって全国に広まったとされています。

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宮島を望む小高い丘に哲真さんの石碑があります。

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眼下の町並みは江戸時代のメインストリート町家通りです。

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五重塔および千畳閣です。

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坂道に大きなイチョウの木がありました。

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中之島ブルース 参

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中之島のもう一つのシンボルが日本銀行大阪支店です。御堂筋をはさんで大阪市役所と向かい合ってます。

 1903年に建設され、昨日の大阪市中央公会堂と同じく、辰野金吾(たつのきんご)さんらの設計です。

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かつてこの地には、長崎県の島原藩の蔵屋敷があったところです。

建物はネオルネッサンスといわれるヨーロッパの建築様式で、ベルギーの国立銀行をモデルにしたといわれてます。

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丸と四角の柱の対比が特徴的な玄関です。屋根部分がうす緑色になっているのは、建築材の青銅板が酸化して、緑青さびが出ているためです。これは銅材質の腐蝕の進行を抑える働きがあります。古い水道の蛇口や井戸ポンプ、街角のブロンズ像などに見ることができます。

 柱の上の部分に見える丸い模様はお札にも印刷されている日本銀行のマークです。紙幣裏側の左右上に印刷されてます。 

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写真左側の建物が昭和55年に完成した、現在の本館です。

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1871年にスタートした郵便制度は、東京、京都、大阪の3箇所に設置された郵便役所からスタートしました。当時大阪から東京へは3日かかったそうです。

 ここに郵便役所があったのはわずかな期間でしたが郵便局の発祥の地といえそうです。歴史は流れ148年後の今日本郵便が誕生しました。

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駅逓(えきてい)というのは郵便の旧称です。

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中之島ブルース 弐

中之島のシンボルといえば赤レンガの建物 「大阪市中央公会堂」 です。地下鉄御堂筋線 京阪電鉄 淀屋橋駅より5分ほどの距離にあります。

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案内板を読んでみると

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 明治44年に岩本栄之助氏から100万円の寄付をもとに建設されたとあります。資料を調べてみると、今の貨幣価値で30億円くらいじゃないかとされています。

 岩本さんってどういう人物であったのでしょうか。明治10年に両替商の家に生まれ、その後株式仲買人として活躍し、北浜の風雲児と呼ばれるまでになりました。

 明治42年に渋沢栄一さんら財界人と渡米し、米国ニ於テ富豪ガ公共事業ニ財産ヲ投ジテ公衆ノ便宜ヲ謀リ又は慈善事業ニ能ク遺産ヲ分譲セル実況ヲ目撃シテ大ニ感激シ這般寄附ノ決心ヲシテ。

 アメリカの富豪といわれる人々が公共施設や慈善事業に私財をつぎ込む姿に感動をおぼえ、自身もそれを実践したいとあります。日本でよく知られている石油王 カーネギーさんらのことを指しているのでしょう。

 日本初の懸賞設計競技で選ばれた岡田信一郎さんの設計原案を元に辰野金吾さん、片岡安さんらによって設計されました。

 辰野さんはこのブログで紹介した 「南海電鉄 浜寺公園駅」 辰野さんと片岡さんで「日本教育生命保険 現 シェワダ」を設計されてます。

 大正7年に完成しました。その後改築されましたが、建設当時の姿を残してます。国の重要文化財の指定を受けています。

 建設当時のレンガと石です。

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館内は大小の会議室やホールがあり結婚式も開催可能です。

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中の島ブルース-1

水の都に すてた恋 泣いて別れた 淀屋橋 ほろりと落とした 幸せを あなたと二人 拾う街 ああ ここは大阪 中の島ブルースよ

1975年の内山田 洋&クールファイブさんのヒット曲であり彼らの代表曲です。大阪中ノ島は堂島川と土佐堀川にはさまれた中州のことです。大阪市役所やフェスティバルホール等があります。

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彫刻「陽だまりに遊ぶ」 藤木康成(ふじきこうせい)さんの作品です。彫刻の後ろにある橋が淀屋橋です。大阪のメインストリートである御堂筋が通ります。

 鳥達がさえずるのはもちろん 中ノ島ブルース でしょう。わわわわー

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大阪街角浪漫倶楽部

大阪の金融街にあった明治、大正期の西洋建築は今に浪漫を私たちに伝えてくれる。そんな街角探検。それが大阪街角浪漫倶楽部です。

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近代の高層ビルが立ち並ぶ中、ここだけは時間が一時停止しているような、西洋建築のことはよくわかりませんが、窓周りの模様は古いけどどこか新しい感じと、強烈な存在感を感じずにはいられません。

 旧大阪農工銀行(現 八木通商さんの本社ビル)

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次は赤レンガが印象的な明治45年建築の旧大中証券(現 シェワダ高麗橋本店さん)です。

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和田信平シェフのフレンチレストランとなってます。ディナーは¥18480から¥34650まで。

願わくは縦横に張り巡らされた電線。地下に埋めていただくとすばらしい景観の街角になると思うのですが、、、

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 風格のある正面口です。

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こだま考

山陽新幹線が博多開業してから32年、その間、新幹線をとりまく状況も変化してきました。現在の山陽新幹線のダイヤはのぞみを中心としたダイヤとなってます。岡山以西ではのぞみでしか乗り換えなしに新大阪以東には行けない状況です。ひかり号も岡山までで以西はひかりレールスターのみとなります。のぞみ号の停車しない駅は列車本数も少なくなります。

 通常新大阪から広島へ向かう場合はほとんどの方がのぞみかひかりレールスターを利用すると思います。1時間に3-4本ありますので。

 こだま号は同じ料金でのぞみ号が1時間15分のところを2時間30-50分かかります。およそ倍です。こだま号は1時間に1本が基本となってます。今日はこだまの将来を見据える意味であえて新大阪発広島行きこだまに乗車してみました。

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乗車率は20%くらいで新大阪駅の人影まばらな一番端の20番線を定刻に出発。

のぞみ号をより時間がかかったような気がしました(実際は変わらない)が新神戸駅に到着。ホームが狭い為列車到着時のみ開くホームドアも全列車が停車する今となっては無用の長物となりつつあります。

 神戸トンネルを抜けると西明石駅。いつもは通過するばかりなのでこうやって停車する光景をみるのは何年ぶりだろうか。人口29万の中規模の都市ですが、こだまと岡山まで各駅停車のひかりが停車、1時間に1-2本のダイヤとなってます。

 こだま号に乗って気付いたのですが、のぞみ号と比べて低速なぶん普段はあっと通り過ぎてしまう車窓もゆっくり見ることができました。車窓を楽しむぎりぎりのスピードかなと実感しました。将来リニアとか実用化されると車窓どころじゃなくなると思います。

 姫路駅ではじめてのぞみ号の通過待ちで8分停車。

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上りホームでしたら姫路城がのぞめます。

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 ほどなく走って相生駅。そして岡山駅。ここでほとんどの乗客が入れ替わりました。こだま号は1時間くらいの距離がちょうどいいのかもしれません。

 新倉敷駅で2回目の通過待ち。そして福山駅。 新尾道駅で3回目の通過待ち

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三原駅 東広島駅 。のぞみの停車しない駅はホームに売店もありませんでした。かつてのキオスクの跡は自販機コーナーに変わってました。乗客の入れ替えはほとんどなく閑散としたまま終着の広島駅へ到着

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駅名版の後ろに見えるのぞみ号は新大阪を1時間14分後に出た列車です。

のぞみ号停車駅とそうでない駅との格差は広がりつつあるように思いました。ひかり号の存在も中途半端になってきました。急ぐ旅でなければこだまもたまにはいいかもしれません。

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適塾

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書物を片手になにかしら威厳すら感じるこのご老人は、大阪のこの地に適塾という私塾を開いた緒方洪庵さんです。

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適塾(適々斎塾)は1845年に開設され、洪庵さんは幕府の奥医師兼西洋医学所頭取になる1862年まで教鞭をとりました。その後明治維新まで続き、大阪医学校(現 大阪大学)の開校と共にその歴史的使命を終えました。医学はもちろん蘭学を中心に教鞭をとり、塾生は身分を問わず広く門戸を開き、成績ごとにランク分けし、のべ1000人近くが学んだとされます。門下生には福沢諭吉さんや、大村益次郎さん等明治に活躍する人材を多く輩出しました。

 江戸時代の蘭学塾で日本で唯一現存するもので、国の重要文化財に指定されてます。

 洪庵さんの号が適々斎ということが適塾の名前の由来です。

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塾の周辺は公園として整備され、オフィス街のちょっとした憩いの場になってます。

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適塾にある銅像(正面から)

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岡山市足守にある銅像です

教鞭をふるっておられる姿でしょうか。岡山市足守の生誕地にございます銅像と比較してこちらの方が温和な顔をされているように感じます。記録によると洪庵さんは非常に温厚な方で、怒りをあらわにされることはほとんどなかったそうです。当時医者としては名誉職と考えられる幕府からの奥医師(将軍等の診察をする)の申し入れをずっと固辞されてきました。地位や名誉とは無縁の方だったと思われます。

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緒方洪庵さんの功績の一つに種痘の先駆者であることがあります。今では当たり前の予防接種も江戸時代はまだ未知のものでした。天然痘の予防接種がここで行われました。(除痘館)牛からワクチンを取ったので当時は、注射をしたら牛になるという現在では考えられないような噂もたちました。しかしこの地から日本の予防医学はスタートしました

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明治生まれの幼稚園

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適塾跡を目指してうろうろしていると、偶然見つけたこの建物。ここは大阪北浜界隈、かつての商家かなと思い角を曲がると

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重厚な門構え(塀重門)の大阪市立愛珠(あいしゅ)幼稚園です。

名前の由来は「主人花を愛すること、珠を愛するが如し」。幼子もまだ掌中の珠として愛する、というのが園名の由来です。

訪問時は適塾へ行くのが目的だったので、愛珠幼稚園の予備知識がなかったので、広島に帰宅後資料をしらべてみました。

 その中で気になった記録は、まずここは日本で3番目の幼稚園であること。まだ幼児教育施設とかめずらしかった明治時代のはじめに、民間の商人らの出資で建てられたこと、当時の大阪商人の先見の目に驚かされます。

 戦時中に延焼を防ぐために建物疎開の危機にありながら当時の園長さんの努力で終戦を迎えたこと。

 そして、幼稚園とはほどと遠い御殿風の造り。それらが評価され幼稚園としては全国初の国の重要文化財に指定されました。

 12/8に一般公開されるそうです。近所だったら見に行きたいですが残念です。

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歴史を感じさせる看板です。

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古の往来は苔むして

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この石畳はかつての西国街道のものです。アスファルト舗装が無い時代は、石畳で道が雨で流されないように保護してました。

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 人の往来がないかつての街道は苔むして、草に覆われています。

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ここを多くの人馬が通り過ぎていきました。

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住宅地ではかつての石畳はアスファルトの下で永遠にその姿のままです。

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自由都市 堺 大浜公園

旧堺港に隣接する大浜公園は、かつて当時日本有数の水族館、温泉、少女歌劇等を有する一大レジャーランドでした。現在はそれらの面影はありませんが、体育館等のスポーツ施設が備わった総合公園となってます。

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 公園内にございます 乙女橋です。

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気動力です。もちろん造語ですが、スポーツとかによく使われる機動力とは違った響きがあります。気、つまり気持ちを動かす力、心がドキドキ、ワクワクする気持ちはいつでも持ち続けていければと思いますね。

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自由都市 堺 与謝野晶子

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宿院駅の近くにある旧町名の石碑です。大町は行政上、大町東、大町西となってます。

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かつて宿院から大浜北町まで阪堺線の支線がありました。そのころの光景と思われます。

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甲斐町も大道筋をはさんで、行政上甲斐町東、甲斐町西となってます。武田信玄にちなんだのでしょうか、兜が描かれてます。山梨(甲斐の国)の人が住んでいたのでしょうか。

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 与謝野晶子さんは甲斐町で生まれました。

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海こひし潮の遠鳴りかぞへつ少女となりし父母の家

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堺駅前の銅像は和装でしたが、こちらは帽子がおしゃれな洋装です。晶子さんは21歳までここで過ごし、その後夫となる与謝野鉄幹さんのもとへ上京しました。

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自由都市 堺 広島にある堺

1週間ぶりの地元ネタです。先週は大阪府堺市を紹介させていただきました。私の地元以外を長期間にわたって紹介するにあたり、堺市の方々に失礼のないように資料は充分に調べましたが、もし誤りがあればご指摘いただければ幸いです。まだ紹介しきれてないものもありますが、日を改めてご紹介いたします。

 堺商人はその才覚で、今のように交通網が未発達の時代に、全国各地で商売を広げてました。現在、旧城下町を中心に、堺町あるいは栄町とよばれているところの多くは堺に由来するものが多いです。

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広島市にもあります、堺町。

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文献によりますと、街道筋にあるこのあたりにはかつて、堺の商人が店をかまえていたそうです。町名になるくらいですからかなりの大店であったと思われます。隣接する猫屋町も豪商の名が由来となってます。

 かつて、堺の豪商がいたという足跡は現在はほとんど残っていません。写真中央の刃物店が当時を物語るものと思われます。

 この交差点あたりから、かつて山陰方面への出雲街道の分岐点でした。

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敵を飯とる。高校野球の広島代表の応援でおなじみの宮島杓子の考案者とされる哲真さんが眠る浄国寺です。

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水引、宗教関係書籍専門店。街道筋には歴史を感じされる建物が並んでます。

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 路地を1本入ると土地を有効活用したビルが建ってます。

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 何故か中心の紺のタイルの模様が目にとまりシャッターを。

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自由都市 堺 都会のオアシスの誕生秘話と花の乱舞

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100年以上の歴史をもつ浜寺公園ですが、公園が出来る前は白砂青松の海岸でした。宅地化しようと松原を伐採しようとされたそのさなかに、幕末から明治維新にかけて活躍した大物政治家から待ったがかかり、この貴重な自然は残され現在に至ってます。

 その人物は大久保利通さんです。大久保さんは西郷隆盛さんと共に明治維新の中心人物として、また明治に入ってからは日本の近代化に寄与されました。

 残念なことに、あまりに猛スピードで歴史が、改革が進みすぎたために、時代の荒波にのまれるかのごとく志半ばでこの世を去りました。

 余談ですが、大久保さんは数ヶ月前に福田総理と総裁戦を繰り広げた、麻生太郎さんの高祖父にあたります。

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 伐採される松を惜しんで、大久保さんが詠んだ句です。

 「音に聞く高師の浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり」

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高石市にもまたがる、スポーツ施設とかも併設する公園です。残念ながら海水浴場は現在はございません。

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 ここ浜寺公園のプールは日本におけるシンクロナイズドスイミングの発祥地です。日本古来から伝わる泳法、たとえば甲冑を着たままの泳ぎや、水中での戦闘等。これらの泳法はシンクロとも共通する部分も多く、そのまま現在に至ってます。

 公園内にバラ公園があります。甘い花の香りが漂います。

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自由都市 堺 浜寺公園デッサン

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堺市の市鳥 もず 市の花 はなしょうぶ (花言葉 みやび) 市の花木 つつじ (花言葉 節制) 

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神社風の建物、警察連絡所とあります。

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「希望」とあります。天を見上げているこの姿はどこかしら物悲しさを感じるのは私だけでしょうか。

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トイレも凝ったデザインになってます。暗いイメージのトイレにあかり窓を設置することで自然光が入り込む設計になってます。

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自由都市 堺 レトロな駅舎-2

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南海電鉄本線の浜寺公園駅です。屋根の上の小さな屋根(ドーマ窓)とハーフテンバーとよばれる柱等の骨組みを露出して、壁の模様にしてしまうことで、かなりインパクトの強い外観になってます。

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駅舎内です。今は蛍光灯になってますが、かつてはシャンデリア調の照明がついていたものと思われます。

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エントランスの柱はギリシャの神殿を思わせる造りとなってます。駅前の通りはひなびています。正面に見えるのが浜寺公園です。

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駅前の通りをしばらく歩くと阪堺電軌の浜寺駅前駅があります。こちらはトタン屋根の簡素な造りとなってます。

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ここから堺市の大道筋、住吉大社をへて通天閣のある恵美須町駅までを結んでます。

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自由都市 堺 レトロな駅舎-1

南海電鉄本線諏訪ノ森駅です。堺市の郊外へと足を延ばしました。

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この駅に降り立った目的が、国の有形文化財に指定されている駅舎を見るためです。

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でも、これでは普通の私鉄の駅みたいです。実は駅舎は線路をはさんで向かい側(難波方面上り)にありました。ちなみにここは関空、和歌山方面のりばです。

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小さな駅舎ですが、正面の電灯も凝ってますし、ステンドグラスをあしらったエントランス、駅舎内の照明はシャンデリア風です。大手私鉄の駅でこれだけのものが残っているのはすごいと思います。

 駅前の商店街は昔ながらの佇まいで、うだつのある商家もありました。商店街の先には阪堺電軌の船尾駅があります。

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駅前に和洋折衷の建物を見つけました。

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 諏訪ノ森公民館です。このブログでも公民館はいくつかとりあげましたが、ここのは一級品ですね。

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 丸窓、サッシのデザインが凝ってます。

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先行き不透明ですが、諏訪ノ森ー浜寺公園駅間の高架の計画があります。平成30年の完成予定ですが、浜寺公園駅の駅舎も含めて歴史的遺産が失われる可能性があります。

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自由都市 堺 境の章

現在の堺市の行政上の境界は大和川となってます。川をはさんで北側が大阪市、南側が堺市となってます。

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かつてここ大小路(おおしょうじ)筋をはさんで、摂津国と和泉国の境とされてました。

この説明板によると大道筋と大小路の交差するここらあたりでは占いがよくあたるとあります。陰陽師の安倍清明さんが占い書きを埋めたというのですが。堺市のみなさんどうなんでしょう。

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堺市のマンホールの中心に描かれた市章は、摂津国、和泉国、河内国を含めた三つの市(町)の境というのが堺市の由来です。

 また描かれている鳥はモズです。堺市の市鳥であり大阪府の府鳥です。堺市の東部は日本最大のお墓の仁徳陵等古墳群があります。堺市では世界遺産への登録への取り組みも進んでいるようです。

 百舌鳥は難読地名の一つです。

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 国鉄(現JR西日本阪和線)百舌鳥駅の切符です。この地名は日本書紀にその由来があるそうです。

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偶然見かけた、異国情緒漂うこのバス。調べてみると「堺シャトル」というバス(南海バス)で、堺市の2大ターミナルの堺駅と堺東駅を結ぶものです。

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自由都市 堺 千利休

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阪堺電軌阪堺線 宿院駅にて下車

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案内板を頼りに向かう先は

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堺市出身の茶人 千利休さんの屋敷跡です。

 千利休さんは、信長さん、秀吉さんの時代に茶人として活躍されました。現在も利休さんの茶道は受け継がれてます。

 晩年は秀吉さんと対立し、非業の死をとげました。一般に知られているのは自身の木像を作ったということですが、良き理解者だった秀吉さんの弟、秀長さんの死によって均衡がくずれた権力争いにまきこまれてしまったのが有力かと思います。

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注意していなければ見過ごしてしまいそうなほど、ビルの谷間に静かに佇んでました。

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宿院駅前を横切るのが「フェニックス通り」です。

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中央分離帯にフェニックスが植えられたこの通りは「日本の道100選」に選定されてます。

大阪では御堂筋を含め3箇所です。

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自由都市 堺 元祖堺駅

大阪府堺市には3つの堺駅があります。東から南海電鉄高野(こうや)線 堺東駅、JR西日本阪和線 堺市駅、そして最も歴史の古いのが南海電鉄本線 堺駅です。

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西出口にはリーガロイヤルホテル 堺があります。

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モニュメントの「夢風船」です。管理人の姿が映ってしまったので一部白塗りにしました。

少し分かりにくいところにあります。探してみてください。

 ホテルの挙式場に隣接して噴水広場があります。

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 堺市出身の歌人、与謝野晶子さんです。市内には句碑が点在しています。

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                       Dscn2019 銅像をみるときは必ず横から後ろからも見てください。特に芸術性の高いものは後姿を見ることも考えて作られているように思います。

 女性の銅像は特に横顔が魅力的な場合が多いように思います。あくまで私見ですが。

 駅の東側は、イトーヨーカドーを中心とした商業施設、バスターミナルもあり人通りも多いです。その傍らに、NHK大河ドラマ「黄金の日々」の記念碑がひっそりと佇みます。

 主人公のルソン助左衛門さんも堺の出身です。

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 堺市役所に銅像があるそうです。

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自由都市 堺 序章

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堺旧港の南波止場にある高さ11.3メートルの六角錘形の木製洋式灯台です。
明治10年(1877年)に完成し、港の埋め立てが進んだことにより昭和43年(1968年)まで約90年にわたって堺港に出入りする船の航海の安全を見守ってきました。
現存する日本最古の木製洋式灯台の一つとして国の史跡に指定されています。

以上堺市公式HPを参考にいたしました。

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旧堺灯台は、旧堺港の遊歩道の終点にあります。隣接する道路は人は通行できないので注意してください。

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今では堺市のシンボルとしてマンホールのデザインにもなってます。

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灯台のかたわらに 伊藤静雄さん(1906年長崎県諫早(いさはや)市生まれ)の句碑がありました。伊藤さんは大阪市住吉区の小学校で教師をされてました。その縁でしょうか、灯台の詩を詠まれてます。自分が人生の暗闇に光をともしてくれる人が近くに居ればと思います。

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集会所と消えゆく地名

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入口の引き戸はバリアフリーを意識しての真新しさを感じるものの、外観は昭和を彷彿させる木造の風合いがあります。

揚下集会所とありますが、この地名は今は無くバス停とここに残るのみです。

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変わり行く町並みに佇む

変わり行く町の姿をこの山門はどんな思いで見つめてきたのでしょうか?あの8/15も

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 町が生きてる限り、人々の営みがある限り変化をくりかえすのだろうか。

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