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2008年へ

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くの字に曲がった扉は何を語りかけるのでしょうか。旧陸軍の被服工廠です。広島には原爆ドームをはじめとして、いわゆる被爆建物がいくつかございます。一般に知られていませんが規模の上では有数の建築物です。広島ブログ

 かつて広島は軍都とよばれ、こういった陸軍をはじめ軍関係のレンガ造りの施設が数多くございましたがその多くが、被災し残ったものも多くが取り壊されました。

 この厚い鉄の扉は原爆の爆風によってへこんだものです。

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私はこの歴史的遺物をどのように記事にしようかずっと思案し今日に至りました。

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住宅街の中に建つこの重厚な建物は県の管理下にあるものの見た目にはほぼ放置状態です。

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世界各地では紛争、テロが絶えませんし、我が国でも格差社会が広がりつつあり、道徳も欠如し、いつ暴動が起こるやもしれない状況にあります。

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そこで来る2008年を迎えるにあたり、この歴史的遺産を紹介することとなりました。

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この建物が平和を訴える施設としていかされることを願いたいと思います。

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時代の流れのなかで

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09年開業予定の阪神電鉄なんば線の工事区間です。桜川駅が開業すると汐見橋駅の歴史も変わるかもしれません。

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車止めの向こうには鯉が泳ぐ池があり、とても都心の駅とは思えない佇まいです。

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温かみのあるの木製の椅子です。ゆっくりと腰をおろすとプラスチックの椅子に無い安らぎを感じます。いつの時代のものでしょう。局番が2桁ですしレトロな感じがします。

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終日30分間隔で運行されています。典型的なローカル線です。南海高野線の起点とは思えません。

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土曜日のお昼前に乗車しましたが、乗客は2人だけでした。

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コンコンコン、なつかしいモーター音を響かせてます。大阪の通勤車両の多くはvvvfタイプですのでヒューン、ヒューンと音を立てながら一気に加速しています。

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時代に翻弄された駅

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1900年に道頓堀駅として開業。その後幾多の変遷をへて1956年に現駅舎が完成しました。

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 構内にはいつのものともわからない案内板があります。非常に見にくいですが、淡路島に鉄道があるころが確認できました。

 淡路交通は1966年に廃止になってますのでそれ以前のものと思われます。

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幹線によくみられる古レールを柱かわりに使ってます。

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神の島 厳島 壱拾参

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海に突き出たこの建物にはかつてみやげ物店や飲食店が立ち並んでました。バブルの頃だったと思います。バブル崩壊後に閉鎖されてから、未だに放置されたままです。そういえば宮島にもブームだったタレントショップがありました。今はどこの観光地でもほとんど見かけなくなりました。宮島でもそれらしい店といえば、サンリオのグッズのお店があるくらいです。

 観光地はやはり景観が大事です。また?のつくような変な店が乱立しないことを祈るばかりです。

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壇ノ浦の戦い、その後に

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宮島の有の浦という浜辺に「二位殿灯篭(にいどのとうろう)」があります。ここには、歴史の狭間に翻弄された悲しい伝説があります。

 源平の最後の合戦となった壇ノ浦の戦い(1185年)で、安徳天皇(享年7歳)(清盛さんの娘建礼門院徳子さんの子)を抱いて身を投じた二位尼(平清盛さんの妻、平時子さん)のなきがらが、ここにたどりついたとされています。「浪の下にも都の候ぞ」と言い残したと伝えられてます。現在は安徳天皇とともに山口県下関市の赤間神宮に祀られてます。

壇ノ浦の戦いでは、多くの女性達が海に身を投げましたが、その多くが源氏の兵士に助けだされたとされています。建礼門院さんは助け出されて、その後京都大原の寂光院で余生をすごしてます。

 その他の女性は後に下関周辺に暮らすこととなりました。このあたりに美男美女が多いと噂されるようになったのは、こういう歴史があったからとされています。

 ここはそのことが縁で、「二位殿の洲」「尼の洲」と呼ばれています。

 二位尼さんは清盛さんがが亡くなられた後、出家して、序二位に叙せられたので二位の尼と呼ばれています。亡き清盛公の栄華の象徴である厳島神社にたどりつくのは、不思議な歴史の因縁を感じずにはいられません。

 

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宮島に錦帯橋

 宮島の大願寺というお寺に錦帯橋の模型があります。

明治時代に開かれたパリ万国博覧会に出展後、一八九六(明治二十九)年岩田三郎左門さんから寄進されました。

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この模型がなぜ岩国市ではなくこの宮島のお寺にあるのかは不明となってます。

 この模型は錦帯橋の実際の改修のときにも参考にしたほど精巧に製作されています。

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 しかしこの模型自身も明治時代のものですので、痛んだ箇所もあり、その改修がほどこされ、現在はその優美な姿をみせています。

 厳島神社の参道の出口の前にあるお寺です。注意していないと見落としますので参拝の際は軒先を注意深くみてください。

 これは実際の錦帯橋です。

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クリスマスも終わりましたのでブログの模様を変更しました。沖縄のミンサー織です。四角の数が5.4.5.4と続いてます。5(いつ)の4(よ)までもずっとしあわせにという願いがこめられています。沖縄の女性が男性への婚約の気持ちを伝えるものです。

 来る平成20年も皆様が幸多かれという思いからこのデザインを復活させました。

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はつかいち図書館

私の居住する区にも図書館はあるのですが、駐車スペースが狭く、主に利用する土日はいつも満車でとても利用しにくく、蔵書も少ないのでいつも隣接する廿日市市の図書館を利用してます。ここは駐車場も広く、地方都市の図書館としては蔵書も豊富です。

 駐車場から図書館までの道すがら色んなモニュメントに遭遇します。これを見学するのも楽しみのひとつです。今回はその一部をご紹介します。

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「海辺」 廿日市市は大野瀬戸とよばれる海峡をはさんで宮島と対峙してます。また地御前や大野といった牡蠣養殖の一大産地もございます。

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「和合」 お父さんがなぜか帽子をかぶってます。市内には広島カープの寮もありますのでカープの帽子なんでしょうね。

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「深山」 宮島には手付かずの自然が残る弥山(みせん)原始林、吉和にはもみの木森林公園、木材港にはたくさんの巨木が海に浮かぶ光景が見られます。廿日市市は林業や家具などの木工品の生産もさかんで、けん玉の発祥地です。

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「豊穣」 昨今、食の安全の信頼が崩壊しつつあります。農業、漁業、畜産どれをとっても自然と、バイオを中心とした科学の英知の共存を今一度考える時期かと思います。

 「食育」はこのブログでもとりあげていきたいと思います。

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「楽楽」。極楽寺を中心とした美しい山並みです。広島県北部を中心に出雲地方の影響でしょうか、神楽がさかんです。

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紀州街道

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紀州街道は、かつて大阪城下と住吉大社を結ぶ街道としてスタートして、後に和歌山まで結ばれました。堺市の大道筋に町屋が立ち並ぶエリアがあります。

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この広い舗道がかつての紀州街道です。

商業がさかんであった堺では、教育による人材育成の気運もさかんで、江戸時代には22もの寺子屋があったとされてます。

 ここ郷学所も身分を問わず、地域を問わず、明治維新まで多くの人材を育成しました。

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レトロな車両

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 左は旧大阪市電です。塗装も当時のままで昭和40年代中ごろに広島にやってきました。広島では旧京都市電等の譲渡車両は、できるかぎり当時のままで残されています。

 「走る路面電車博物館」と呼ばれる由縁です。

 大阪市電900型は前面のガラスの形が特徴です。もちろん床板は木製です。

 右側の車両はイベント用で、大正時代の車両をできるだけ忠実に再現したものです。当時は車体は木製でしたが、現在の法律ではNGなので銅版を貼って木の雰囲気をだしてます。

 この時代の特徴であるデッキ部分や車よけが印象的です。

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言行は慎重に

宮島口桟橋です。広島港からの連絡船もありますが、宮島を訪れる人のほとんどがこの桟橋から厳島に渡って行きます。

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でもこのモニュメントに目を止める人はどれほどいるのでしょうか。

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 私たちが発言したり、何か行動を起こすときにいつも気に止めておかなければならないことがここに明記されてます。

 でも世の中には、あまりに安易な発言、無責任な行動が数多くの問題を引き起こしてます。私もブログに書く内容には細心の注意を払ってますが、今後もその意志は持ち続けたいと思います。

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後白河法皇記念の松

承安四年(西暦1174年)に後白河法皇行幸の際に記念に植えた松だそうです。

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亀の形に似ているので、さわると長寿のご利益があるそうです。

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仁王さん

子供の頃、近所のお寺の仁王さんが怖くて近寄れなかった想い出があります。

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厳島神社の拝観コースに出口近くにある大願寺の山門です。仁王さんはこういった山門に立ってます。

 多くのお寺の仁王さんは、ここのように金網に覆われている風景をよく見かけます。理由としては、鳥の糞害に仁王さんが憤慨してしまったこと、自分の強くなりたいと思った部分に物を当てると願がかなうという言い伝えにより仁王さんが壊れるのを防止するという理由からによるものとされています。

 どちらにしても仁王さんは絶えず屋外におられて、風雨にさらされてますので、どこのお寺にしてもほこりにまみれていたり、痛みの激しいの光景を見かけます。

 そのためでしょうか、国内で国宝の仁王さんは3体だけだそうです。

 一般的に左側が口を開けた阿形像、右側が吽形像、つまり阿吽(あうん)の呼吸となってます。

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 こちらは大聖院の仁王さんです。こちらは金網には覆われていませんでした。もし彼らがボディービル大会に出れば間違いなく優勝でしょう。

 仁王さんは、すばらしい肉体から健康の神、また健脚の神として信仰されてきました。仁王門とかに大きな草鞋(わらじ)が奉納されているのもそのせいです。まさに仁王立ちですね。

 

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茶畑に想う

流れ橋の近隣には茶畑が広がってます。私の地元では茶畑の広がる風景は見ることがないので、とても新鮮でした。京都府も茶の産地ですが、ここ八幡市も生産がさかんです。

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 江戸時代のはじめこの地に 松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)さんという僧がおりました。書道、和歌、茶道といった芸術にも長けた方でした。

 ある日、農家でふと目にした板で仕切られた縁高の箱に興味をしめし、後に茶道具や小物入れとして後の世に伝えられました。

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 そして、時は流れて昭和のはじめに、この縁高の入れ物に興味を示した人物がいました。その人物はこれに料理を盛り付けることを考えました。「松花堂弁当(しょうかどうべんとう)」の誕生の瞬間です。

 その人物は料亭吉兆の創業者 湯木貞一 さんです。

 

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時代劇のロケ地

上津屋橋(流れ橋)は橋桁も橋脚も木製です。水害時にはワイヤーでつながれた橋桁を川に流して、橋が流下物をせきとめての2次災害と、災害後の橋の改修を容易にするという先人の知恵です。

 高知県の四万十川に沈下橋というのがありますが、同じような考え方の橋だと思います。

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 これが普通の橋です。ずいぶん違います。

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 欄干も何もないので風の強い日とかはつらいでしょうね。つり橋とは違った渡り心地です。

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木製の橋なので通行できるのは、歩行者、自転車等の2輪車です。この日は日曜だったのでサイクリングされてる方を多く見かけました。

 ところで、この橋をテレビとかで見たことがおありの方は多いと思います。こういう絶好のロケーションですし、撮影所のある京都に近いこともあって時代劇のロケ地として数多くの時代劇に使用されてます。橋のシーンはたいていはここといわれているほどです。

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 こういった景観はいつまでも残してほしいものです。

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流れ流れて流れ橋

木津川は三重県の鈴鹿山脈を源流とし、三重、京都をへてここ八幡市あたりで淀川と合流し大阪湾にそそぎます。

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この木津川にかかるのが 流れ橋 です。

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 でも流れ橋というのは通称で、正式には 上津屋橋とよばれてます。

 木津川の土手をえいこら登ると眼下に流れ橋が見えてきます。

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街角のエジソン弐

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エジソンの発明の一つに白熱電球があります。電球のパーツのひとつに光を放つフィラメントというのがあります。現在はタングステン等が使用されてますが、エジソンの時代にはこれといった素材がなく苦労しました。

 あるときエジソンはある素材に出会いました。それは竹でした。そのなかでも京都府八幡市の竹がエジソンのお眼鏡にかないました。

 白熱電球はエジソンさんの発明ではないのですが、安価で長時間のものを作り出しました。

 京阪電鉄八幡市駅前にはエジソンお墨付きの竹を記念したモニュメントがあります。日本の竹が、世界の暗闇を明るくともしました。

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自由都市 堺 ザビエル

日本にはじめてキリスト教を伝えたとされるのがフランシスコ ザビエルさんです。

1549年に鹿児島に上陸されてから、平戸、山口をへて1550年に堺へこられました。地元の豪商、日比屋了慶さんの厚遇を受けました。

 昭和24年、ザビエル来航400年を記念して、旧日比谷さんの旧宅は「ザビエル公園」となりました。

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ここから、日本での西洋文化が花開いたとされてます。

 鉄砲の主要生産地となったのが、ここ堺市です。優秀な鍛冶職人が多くいたことに起因してます。

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 東と西の接点。この黒い四角のかたまりは何をかたりかけるのでしょうか。

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神の島 厳島 壱拾参

 長浜神社の東側は宮島幼稚園、小学校、中学校が立ち並ぶ宮島のアカデミックエリアです。

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 宮島中学校です。

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 宮島小学校です。木製の校門と神社風の建物が印象的です。

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 宮島幼稚園です。宮島の子供たちはここで学び巣立っていきます。高校は島外になります。

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 学校近くにございます、大魚切(おおなきり)とよばれる岬です。海水の侵食によって作られた海食崖です。

 宮島にはこういった自然のままの海岸風景がたくさん残ってます。

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神の島 厳島 十弐

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宮島桟橋より東方面へ歩くこと数分のところに長浜神社があります。御祭神は興津彦命(おきつひこのみこと) 興津姫命(おきつひめのみこと)です。

管弦祭の時にはこの神社の前で管絃が奉されます。

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道路をはさんだ海岸に鳥居があります。

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遠くから見ると厳島神社のミニチュア版のようです。

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対岸には廿日市市の町並みが望めます。

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海岸には鹿の姿が、ちょっと寂しげです。

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神の島 厳島 壱拾

宮島桟橋の東側の長浜地区は観光客もまばらです。

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 「もう、あなた鹿(しか)愛せない!」

秋は鹿の恋愛の季節です。「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声をきくときぞ秋は悲しき」

猿丸太夫(古今和歌集)

 この和歌に出てくる鹿の声とは秋にオスが鳴く声だそうです。私はまだ聞いたことがありません。

 

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神の島 厳島 九

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道祖神社 午王社(ごおうしゃ)です。幸町にあるので幸神社と呼ばれてます。御祭神は「猿田彦神」です。

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神の島 厳島 鉢(八)

もみじ踏み分けなく鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき   古今和歌集 Dscn2293

紅葉谷公園にて

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神の島 厳島 奈々(七)

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粟島神社です。祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。諸難病平癒、安産、家内安全等、特に女性の信仰の篤い社です。島では女子が初潮を迎えるとおまいりするそうです。

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こんな静かな島でも、かつて合戦が繰り広げられました。合戦の後は、略奪や火災などがつきものでしたが、毛利元就公は、合戦で汚れた回廊等をきれいに掃除をしたそうです。

 火災が神社に延焼しないように家来に指示したとされています。こうやって文化財は守られました。

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神の島 厳島 六

厳島神社から大聖院へ至る緩やかな坂道・滝小路(たきのこうじ)は、かつては厳島神社の神職に携わる人々の住まいになっていたところで、棚守・上卿・祝師などの社家や内待、大聖院の宿坊が軒を連ねていた通りでした。
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棚守職というのは、今で言う神主さんにあたりますが、当時は今と違って大きな財力を有してました。
この案内板に出てくる景弘(かげひろ)は厳島神社の創始者と伝えられる佐伯鞍職(さえきくらもと)の子孫とされている佐伯景弘さんです。平清盛さんの厳島信仰は彼の力によるものとされています。
 房顕(ふさあき)は棚守房顕さんのことで、戦国大名の大内氏や毛利氏とも関係をもち、水災害によって被害を受けた厳島神社を再建し、「房顕覚書」を残してます。
 抜頭とは天平年間(729~748)に婆羅門僧正さんと、林邑の僧、仏哲さんより伝えられたといわれている。 猛獣に父をかみ殺された胡人の子が山野を探し求めて遂に父の仇を打ち、歓喜する姿を舞いにしたという。また、漢の后が嫉妬に狂う様を模したともいわれています。
 この舞は、四天王寺の楽人に伝えられてきた舞であるが、その後途絶えてしまったので、厳島神社の楽人であった棚守元貞さんが大阪の楽人、岡昌稠さんに寛政八年(1796)に伝え返したといわれてます。
 
今でもこの小路には神職の住まいや寮などがあり、千本格子の大戸など独特の家並みが見られます。
石垣の上に建つ「上卿(しょうけい)屋敷」は、朝廷から差遣わされる奉幣使(ほうへいし 勅令によって幣帛(神に奉献するものの総称)を神社、神宮に奉献する使)
の代参を役目とした江戸時代の神職の屋敷で、当時のままの建築様式を残す貴重な建物(見学は日曜のみ、要予約)。
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社家というのは世襲神職のことです。薬医門は本柱の内方に控柱を2本建てて、切妻屋根をかけた門です。
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神の島 厳島 伍

厳島神社境外摂社の三翁(さんのう)神社です。摂社というのは本社(ここでは厳島神社)に付属して、本社とつながりの深い神様を祀った神社のことです。

 滋賀県大津市、比叡山の麓坂本にあります、山王(さんのう)こと日枝(ひえ)神社が名前の由来とされています。

 明治以前は山王社と呼ばれ、それ以降は三翁神社と変わりました。

江戸時代にはこのあたりに芝居小屋などが建ちおおいに賑わいました。

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祭神は安徳天皇、佐伯鞍職、二位尼(平清盛公の妻)、猿田彦神 他です。宮島で唯一の銅製の鳥居です。

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