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神の島 厳島 六

厳島神社から大聖院へ至る緩やかな坂道・滝小路(たきのこうじ)は、かつては厳島神社の神職に携わる人々の住まいになっていたところで、棚守・上卿・祝師などの社家や内待、大聖院の宿坊が軒を連ねていた通りでした。
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棚守職というのは、今で言う神主さんにあたりますが、当時は今と違って大きな財力を有してました。
この案内板に出てくる景弘(かげひろ)は厳島神社の創始者と伝えられる佐伯鞍職(さえきくらもと)の子孫とされている佐伯景弘さんです。平清盛さんの厳島信仰は彼の力によるものとされています。
 房顕(ふさあき)は棚守房顕さんのことで、戦国大名の大内氏や毛利氏とも関係をもち、水災害によって被害を受けた厳島神社を再建し、「房顕覚書」を残してます。
 抜頭とは天平年間(729~748)に婆羅門僧正さんと、林邑の僧、仏哲さんより伝えられたといわれている。 猛獣に父をかみ殺された胡人の子が山野を探し求めて遂に父の仇を打ち、歓喜する姿を舞いにしたという。また、漢の后が嫉妬に狂う様を模したともいわれています。
 この舞は、四天王寺の楽人に伝えられてきた舞であるが、その後途絶えてしまったので、厳島神社の楽人であった棚守元貞さんが大阪の楽人、岡昌稠さんに寛政八年(1796)に伝え返したといわれてます。
 
今でもこの小路には神職の住まいや寮などがあり、千本格子の大戸など独特の家並みが見られます。
石垣の上に建つ「上卿(しょうけい)屋敷」は、朝廷から差遣わされる奉幣使(ほうへいし 勅令によって幣帛(神に奉献するものの総称)を神社、神宮に奉献する使)
の代参を役目とした江戸時代の神職の屋敷で、当時のままの建築様式を残す貴重な建物(見学は日曜のみ、要予約)。
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社家というのは世襲神職のことです。薬医門は本柱の内方に控柱を2本建てて、切妻屋根をかけた門です。
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