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壇ノ浦の戦い、その後に

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宮島の有の浦という浜辺に「二位殿灯篭(にいどのとうろう)」があります。ここには、歴史の狭間に翻弄された悲しい伝説があります。

 源平の最後の合戦となった壇ノ浦の戦い(1185年)で、安徳天皇(享年7歳)(清盛さんの娘建礼門院徳子さんの子)を抱いて身を投じた二位尼(平清盛さんの妻、平時子さん)のなきがらが、ここにたどりついたとされています。「浪の下にも都の候ぞ」と言い残したと伝えられてます。現在は安徳天皇とともに山口県下関市の赤間神宮に祀られてます。

壇ノ浦の戦いでは、多くの女性達が海に身を投げましたが、その多くが源氏の兵士に助けだされたとされています。建礼門院さんは助け出されて、その後京都大原の寂光院で余生をすごしてます。

 その他の女性は後に下関周辺に暮らすこととなりました。このあたりに美男美女が多いと噂されるようになったのは、こういう歴史があったからとされています。

 ここはそのことが縁で、「二位殿の洲」「尼の洲」と呼ばれています。

 二位尼さんは清盛さんがが亡くなられた後、出家して、序二位に叙せられたので二位の尼と呼ばれています。亡き清盛公の栄華の象徴である厳島神社にたどりつくのは、不思議な歴史の因縁を感じずにはいられません。

 

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